小菅神社について宮司による小菅の話

小菅神社について 2017/06/13

小菅山は戸隠・飯綱と並び北信濃三大修験霊場と知られており、中世の頃は小菅山元隆寺として広壮優美を極めたといわれます。
しかし、度重なる戦禍(小菅寺合戦や川中島合戦等)により、小菅山は奥院を残し灰燼に帰してしまいました。その後、上杉氏や松平氏の信仰厚きにより、建物が再建、修理等が行われ存続されています。

今日の日本は過疎化や少子高齢化が進行し、所謂人口減少社会を迎えています。この現実が地域の神社の在り方にも大きな影響を及ぼしています。
若者は仕事を求め都会へと転出し、当小菅地区も限界集落となりつつある中で、残された者で祭りや伝統文化を守っています。神社建造物、祭り、集落が文化財として残され、信仰され、そして現代に受け継がれてきています。
神社は「日本人の心の故郷」だと表現されています。人々の拠り所として神社が有り、そして又、神と人との触れ合い、人と人との触れ合いの場として祭りが行われています。

遠い昔から親から子へ、子から孫へと受け継ぎ伝えられてきました「敬神崇祖」の真心を以て、神まつりをしてきています。氏神様と氏子は親子の関係、血の繋がりがあります。神社のお祭りを盛大に執り行う事は、氏子の家々にも繁栄が訪れるのであります。
この小菅地区の氏子の皆様は、祭りへの思いが強く、先人より受け継ぎ伝えられた伝統文化、芸能の保存継承に区民一丸となって取組んでいます。

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